Endless. 
―流転する景色、繰り返す意識の中で—

山本雄基 、牧田愛、木下令子
2021年2月9日 - 3月27日

境界

円と円
二次元と三次元
意図と無意識

全てに「あいだ」が存在し、
その境界は意識によって決定される

意識に集中することによって視えてくる景色が決まり、
意識を変えることによって視えてくる景色もまた変わっていく

景色の変化が、繰り返す

それこそが
「終わりなき美への追求」

積層する透明層の中に配置された“円”、それらを錯視的に組み合わせた山本雄基による作品は、
円周率のようにどこまでも続く可能性を秘め、視る者の意識と交錯し、
相互に干渉することでその関係性を拡張していく。

環境から採集したデジタルデータの集合に、フィジカルな筆跡を重ねる牧田愛の作品は、
キャンバス上と現実世界の融解によって生み出される有機的なイメージとなり、
それは、まるで一本の木が森になるように、視る者の中で成長していく。

偶然の重なりの中で生成される不可逆的な現象に、意図的な行為を織り込んだ木下令子の作品は、
すでに存在している一瞬の時をフレーミングしながら、作家の意識を落とし込む。
大地に光が差し込むように、視る者に意識の「芽」を芽生えさせ続ける。

宇宙を創り出した「ビックバン」のごとく 山本 雄基、牧田 愛、木下 令子の意識・考え・想いを集めることにより
視る者の意識に解き放たれる視えない力。それこそが境界だと考える。
その境界を探し続けること、それもまた終わりなき美への追求なのかもしれない。
それぞれに思う「美」を感じていただけることを願っている。

アーティストステートメント

山本雄基

物事には、自身でコントロールできること、できないことがある。
思いがけない外的要因に出会った際の判断や振舞いで、個の可能性は拡がっていく。
認知しづらい両義的な領域に、豊かさを見出したい。
しかしただ曖昧に身を置くのみならば、半端な自然状態の受容にすぎない。
時に理不尽も受入れながら、能動的に選択、決定していくこと。
絵画制作は、僕がそれらを直接体感するための場であり、希望の可視化とも言える。
重層的な透明層の中に、色の円と、色をくり抜くヴォイド(=穴、無、虚)の円を重ね、実と虚の交錯を繰り返す。
階層を超えて位置する円と円に関係を持たせ、法則性(またはその破棄)を与える。
円は無個性かつ根源的な形の強さを持つ。点でもあり、領域でもある。多くの事柄を代入できる象徴にもなり得る。
色彩は、相互関与することで無数の複雑な解釈を持った存在になる。
物質はいつも、意識の外側へ僕を向かわせてくれる。

山本雄基

牧田愛

ウィルスで大混乱に陥ったニューヨークの春。
スタジオの窓から見える空は雲一つない快晴。草木は芽吹き、鳥は楽しそうに歌う。人間はパニックに陥っているが、自然や生物の営みは何も変わらずに流れ続けている。
歴史的な大感染の瞬間に立ち会うことによって、生命と、それを生かす自然の大きなダイナミズムを感じることができた。
人間が認識する世界は小さい。しかし、人間をとりまく世界は莫大で、不可解で、限りない奥行きをもつ。それを知ろうとすることは恐怖をともなう崇高へのまなざしである。
私は絵画というキャンバス上の限られた空間に、認識の限界を超えて広がるイメージを創出する。無機的な人工物は人間の技術を象徴し、自然や生き物を抽象的かつリアルに表現する。対立的な構造としての人工と自然が融解していく世界を描きたい。

牧田愛

木下令子

真っ新ではない皺や折れ目のついた紙や布を机に広げ、塗装用のスプレーガンによる霧状の絵の具を吹き付け、絵を描いている。その工程は、自身の原風景である、連なった山山に太陽光が当る光景を真似ている。遠くの山を俯瞰して眺めるように身の廻りを見渡すと、すでに創られ、性質や目的や時を持ったものに囲まれている。何もないのではなく、何かがあるということから全てを始め、不可逆的なシワや折れ、自然光よる日焼けや感光、本の中の言葉や数字、時や人によって描かれたそれらを、私は絵の礫としている。

木下令子